マタイの福音書 6章

「山上の垂訓」から誰が主として生きている?

施し、祈り、 断食

パリサイ人たちが特に好んで善行と考えてきた行為。

貧しい人に施しせよ

どのように祈るか

主の祈り

最初の3つが、神の御心を求め、後半の3つが、自分の必要についての祈り。

どのように断食するか

天に宝

心配するな

主に頼る人は心配しなくって良い!

デボーション:神を主として信頼する

私たち皆自分が自分の運命を握っているかのように生きたい。でも、選ばないといけない。イエスがこのように言った。

だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。1

何がまたは誰があなたの人生の「主」・「主人」です?神は、行為ではなく、心を欲しい。主として生きて欲しい。

  1. マタイ6:24