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第一サムエル記は王の話だ。
士師記での失態から、民は長期的に導いてくれるリーダーを・王を期待している。悪い時代、神がいるのか疑う時代だった。
そのころ、【主】のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。1
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第一サムエル記のまとめ
第一サムエル記と第二サムエル記では、移行の時代、イスラエルの大きな転換期にサムエル、サウロ、ダビデの3人を追っている。士師から王へと変わりゆく時代。バラバラな部族が統一国家として融合され、君主国家の始まり。
1ー8章ーエリからサムエル
9章ー15章ーサムエルからサウロへののリダーシップ移行
15:10ー31章ーサウロからダビデへの王位移行
サムエル
奇跡的な産まれ。信仰溢れる母(ハンナ)の信仰と祈りを神が祝福してサムエル与えてくれた。「神が聞いた」と言う意味の名前。
サムエルは、預言者2であり、イスラエル最後の士師でもある。ペリシテ人を神の力によって追い払い、イスラエルの危機を救います。神がサムエルを大いに用いたが、師匠のエリ同様に子育てで、失態に繋がる。子供を正しく育てられないからから、イスラエルの民が「王をくれと!」叫んだ。
サムエルや他の士師達は神が立ち上げた政治的・軍事的なリーダーだったが人々はそれでも王を欲しがった。
サウロ
民が選んだ王
イケメンで背が高く、いい家出身だからと人々が良いと選んだ王3 でも、問題はそれだけではない。 根本的な問題は、創世記のエデンで見られる問題、神に従いたくない人々だ。4
まず持って、王が欲しかった理由はほかのすべての国民のようになりたい!5
もったいない
人々にも問題があったが、サウロにも問題がいっぱいあった。心の問題。従順よりも、私のやりたい事一番。神の計画と御心よりもMY WAY。
サウロの人生では著しく目立つのが、自分も他人もを傷つけ続ける性格上の欠点・人格的欠陥だ。 プライドからか、自分だけ特別と勘違いし、ルールは自分に当てはまらないと思ってしまう。
私ちも同じ戦いがある。
ダビデ
神の選んだ王
特にサウロとの比較がでかい。サウロは人を喜ばせようとした。ダビデは神を喜ばせるために生きた。 特にこの辺の違いを集中的見ながら読もう。
神様は心を見る方。
単純計算で見るとダビデはサウルよりも罪が多かったとかもしれない。でも神がダビデを選んだ理由がある。ダビデは革新的で謙遜的な信頼を神に置いていた。
主はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」6
そしてサウルを退けた後、神は彼らのために王としてダビデを立て、彼について証しして言われました。『わたしは、エッサイの子ダビデを見出した。彼はわたしの心にかなった者で、わたしが望むことをすべて成し遂げる。』7
神は弱いものを用いる
聖書を通して見られる原則だ。神は弱いものを用いて高ぶってるものを崩す。心を見ている神だ!高ぶってるものを自分の力でできると思ってるもの崩す。 ダビデがこの象徴と言っても良い。
「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」9
あなたがたのうちで一番偉い者は皆に仕える者になりなさい。だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。10
嘲る者を主は嘲り、へりくだった者には恵みを与えられる。11