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民数記のまとめ
シナイ山から約束の地まで行くはずのイスラエルの民。11日で着くはず旅だが、1,000倍以の時価がかかったて40年彷徨ってた!
1ー9章 シナイ山にて20日間の準備(律法や生き方)
10ー14章 約束の地カデシュ・バルネアに向かっている数ヶ月の様子(文句・反乱)
15ー36章 38年間の荒野での彷徨いの後、約束の地の手前まで戻ってくる(古い世代が死ぬ)
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民数記は、つまらなそうな名前だ。はじめと最後に戦える男の数を数えた(人口調査)。だから、名前が間違って「民数記」に!?実際名前や数字のセクションはちょっとつまらない。
1章ーシナイ山から旅に出た人数
26章ー約束の地に入ろうと準備している人(新しい世代)
でも、ヘブル語のタイトル「荒野にて」だったらもう少し面白そう。なぜ、世代交代があったのか。なんで最初の人口調査の人たちが約束の地に入れなかったかのストーリーと言っても良い。
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悪循環負のサイクル
民数記で世代交代の理由が以下のうに書かれている。
わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、だれ一人、わたしが彼らの父祖たちに誓った地を見ることはない。わたしを侮った者たちは、だれ一人、それを見ることはない。1
一回だけじゃない。サイクル。神が命令した事に対して、民が文句を言い、しまいには反乱につながり、問題が起きて、モーセなどのリーダーが取りなしてくれ、神が救済に働く。こんなサイクルが度々見られる。
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文句
その中でも、民数記では、「文句」(不平や不満)がハイライトされている。
神についてのを不平を言うのは悪いことではないが、神について文句を言うのは間違っている。文句が悪い3つの理由。
文句は不信仰だ
文句は感染する(コロナよりも)
文句は神の計画とタイミングを信頼しない
応用の為のクエスチョン
- 一番文句を言うのはどんな時?
- あなたはあなたの人生で、神に従おうとしないサイクルある?
- あなたの人生で、荒野にいるように感じる時、どのように信仰で歩める?
民数記は私のため
第一コリント10:9-14で、民数記のストーリーが私たちの「教訓としてある」、と教えられている。私たちのための書である!同じ過ち犯さないように、イエスと信仰に歩めるようになろう。
イエスは私たちに完璧になって欲しいのではない。荒野でも、約束の地でも、何処でも、イエスと歩んで欲しい。信仰に生きる人たちになって欲しい。 民数記読み終わるのに信仰が必要かもしれない。でも、それを通してイエスに出会っていこう!
- 民数記14:22-23 ↩