レビ記

聖なる神の前に、聖よくない人がこれない。だから贖いが必要。

挫折の書

名前からして難しそう。聖書通読も大大この辺であきらめる人が多い。聖書をちょっと知っている人も、「レビ人は祭司たちだったからそのマニュアルなんて私には関係ない。特に今の時代に関係ない。」と思ってしまいやすい。

約束の地「カナン」に向かって行くにあったて、神の民とされた人たちがどのようなルールで生きるかが書かれている。

レビ記のまとめ

1−10章 どのように聖い神と人間が関係を持つか「礼拝」(祭司の役割8-10章)

11−25章 応用編ー日常生活で「聖く」生きるためのルール

26-27章 祝福と呪い

レビ記でぶち当たる問題

出エジプト記で、神がみんなの生活のど真ん中にいたいと「幕屋」造らせたが、モーセも含め、誰も入る事が出来ない。折角神が住んでくれて、「あなた方は私の民となる」と言ってくれたのに、近寄れない!?神と交わる(臨在を体験する)事ができない!?だったらどうせれば良いの?シナイ山のふもとでの話。そんな大きな問題で始まるレビ記です。

Holy(ホーリー):「聖い」

「あなたがたは、わたしにとって聖でなければならない。主であるわたしが聖だからである。わたしは、あなたがたをわたしのものにしようと、諸民族の中から選り分けたのである。」1

聖なる神の前に、聖よくない人がこれない。

神と関係を持つには、神のように聖くなくてはならない。

答え: 贖い(贖罪)が必要

残念ながら、自分の力では聖くなれない。自分を救う事が出来ない。誰もが、贖いを必要としているー「身代わり」、「買い取る」、「解放」、と言う意味がある。贖いは、「捧げ物」、「いけにえ」、「血」、「償い」、を通して一時的に得られる。

でも、捧げもの捧げるためにも、選りすぐられた、聖別された祭司が必要。それも毎日、毎年必要となる。2結局は、神自身が聖くしてくれる。3

「律法と私」

ルールはイエスに指す

ルールは、面倒だ。だが、聖書のルールは神の心と私たちの役目を理解する為かかれている。ルールはさらに、完璧な大祭司であると同時に、少しも汚れのない捧げ物であるイエスの必要をあらわにしている。

これこそ福音のメッセージだ。自分では神と関係を持つ事が出来ないが「恵みのゆえに」「信仰によって」贖いを「義」を「いのち」をイエスが与えてくれる。4

人生に応用するための質問

イエスはどのように「聖なる」人として生きて欲しい?


  1. レビ記20:26
  2. ヘブル7:27
    「イエスは、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、毎日いけにえを献げる必要はありません。イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです。」
  3. レビ記20:7-8
  4. エペソ2:8-9; ヨハネ3:16; 第一ヨハネ4:9-10