マタイの福音書21章

21章以降、エルサレムでの最後の1週間だ。

エルサレム入いる

神の小羊としてエルサレムに入城する。 ロバに乗って入城した理由は自分がメシアだと教えるため。1

「ホサナ」2(今私たちを救ってください)3

宮清め(2回目)

エレミヤ7:11

キッズが「ダビデの子にホサナ」と叫んでる(詩篇8:2)

いちじくのきを呪うイエス

イエスの権威問われる

3つのたとえ(3つ目は22章で)

  1. 二人の息子のたとえ
  2. 悪い農夫のたとえ4
  3. 結婚の披露宴のたとえ

デボーション:マタイ21:9

群衆は、イエスの前を行く者たちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」

やっと王のイエスが来たと分かった群集。イエスを権威ある王として、メシアとしてエルサレムに迎え入れる。彼らはここから革命が始まるのかとでも思っていたに違いない。でも、神の計画は違った。

この数日後にはもう、イエスに従うものが少なく、群衆はイエスを殺せと叫んでいた。「なんだこの馬鹿ども」と私たちは見やすい。でも、私たちも簡単にイエスを忘れてしまう。

「イエスを忘れる?」人気がない。社会に受け入れられていない。すぐに、知らん顔。「殺せー」とまでは言わないかもしれないが、ペテロみたいに知らないよそんなやつとすぐ言ってしまう=世代になっていないか?

  1. ゼカリヤ9:9の預言を満たすため。
  2. ホサナ
    ヘブライ語で「どうか、救ってください」「助けてー」「おおー主よ助けてー」などと言った意味を持つ。一時的な「救って」ではなく毎日イエスと歩自分の立ち位置を理解して生きて行こう。
  3. 詩篇118:25-26を謳っている人たち。仮庵の祭りで祈って歌たそうだ。
  4. 旧約聖書でイスラエルの民をぶどう園にたとえる習慣があった。イザヤ5:1-7と詩篇80:6-16